メンヘラかもしれない?!歴史上の人物について調べてみた【日本史編】

最近でこそよく聞かれるようになったメンヘラですが、「メンヘラ」という言葉が知られるよりはるか昔にもそのような傾向のある人物は存在していたのでしょうか。

今回は、メンヘラかもしれない歴史上の人物4人と、その驚くべきメンヘラエピソードについてご紹介します!

六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)

相手を想うあまり、生霊となり殺人を引き起こす

六条御息所は源氏物語に登場する人物です。光源氏の父であった桐壺帝の皇太子の妃でしたが、夫の死後に光源氏と恋に落ちます。

しかし、自分は光源氏よりも年上であり高貴な身分であったことから、光源氏に対して素直になれず自分の気持ちを押し殺していました。

その後、押さえ込まれた恋心が膨れ上がり、たびたび光源氏の愛する人々に危害を加えたり、ついには生霊となり人殺しまでしてしまったと言われているんです。

生霊が人を殺すとは、どれほどの強い想いだったんでしょうか……

日野 富子(ひの とみこ)

子を持つ側室を羨み、自身の息子の死をきっかけに追放

日野富子は、足利義政の正室です。16歳で義政と結婚しますが、なかなか子どもに恵まれませんでした。一方、義政の他の側室には子どもがいました。

富子は、結婚して3年ほどが経った頃にやっと男の子を妊娠します。無事に出産したのですが、なんとその日のうちに亡くなってしまいました。

悲しみに満ちた富子は、息子の死の原因は義政の乳母である今参局(いままいりのつぼね)が呪いをかけたからだと主張し、彼女を流刑にしてしまいました。実は、今参局は義政の乳母でしたが、義政が大きくなってからは愛人だったとも言われていたのです。

結局、今参局は自ら命を絶ってしまったのですが、嫉妬深い富子の仕打ちはそれでもおさまらず義政の側室4人まで追放してしまいました。

細川忠興(ほそかわ ただおき)

妻に見惚れた庭師の首を切り落とす

細川忠興は、細川ガラシャと夫婦です。仲良し夫婦だったようですが、ガラシャの父である明智光秀が忠敬の慕っていた織田信長を裏切り、本能寺の変が起こりました。

状況からして内通を疑われる可能性がありましたが、どうしてもガラシャを手放したくなかった忠興はガラシャを山奥に2年間も幽閉します。

このエピソードだけでもかなり愛が重そうですよね。しかし、もっと驚くべきエピソードがあります。

ある日、忠興とガラシャが庭で食事をしていました。その時ちょうど庭師が庭の手入れをしていたのですが、彼がガラシャに見惚れていたそうです。それに気づいた忠興は激怒して庭師の首を切り落としてしまいます。しかも、刃についた血をガラシャの着物で拭いたとか……

八百屋お七(やおやおしち)

好きな人に会うため、自宅に放火

八百屋お七は江戸時代の八百屋の娘でした。お七の家は、天和の大火(てんなのたいか)と呼ばれている火事に遭い、正仙院というお寺に避難していました。

そこでお七は、寺小姓と呼ばれるお寺の雑用係の少年「庄之介」と恋に落ちます。

しかし、お店は建て直され、お七の一家は寺を引き払います。

どうしても庄之介に会いたかったお七は、もう一度家が焼けてしまえば庄之介のいるお寺で暮らせるのではないかと考え、自宅に放火をします。結局お七は火刑にされてしまいました。

好きな人と暮らしたいがために、放火事件を起こしてしまうなんてすごいですよね。

今回はメンヘラかもしれない歴史上の人物4人についてご紹介しました。どのエピソードもなかなか衝撃的でしたよね。

「メンヘラ」という言葉は存在していなくても、昔からメンヘラっぽい人物は存在したようです。気になった方はぜひ詳しく調べてみてくださいね。

参考文献

メンヘラせんぱい